混沌の使い魔 第14話 Refugee

 原因は不明であるが、アルビオン自慢の艦隊が交戦能力を喪失した。その情報はトリステインにも伝わっていた。

 原因は不明である――しかし、誰がそれを行ったのかはここ、トリステインとアルビオンからの亡命者達の首脳が集まるこの広間では、ある意味共通の認識であった。すなわち、魔法の才など皆無だと、ゼロと嘲られた少女の使い魔であると。
 どうやったのかは分からない。しかし、万にも及ぶ大軍をたやすく退け、更には最強とも言われるアルビオンの空軍を沈黙させた者は、間違いなくその使い魔だ。

 便宜上、使い魔とは認識しているが、ほとんどの者はそのようには捉えてはいない。始祖ブリミルの使い魔をはるかに凌ぎ、始祖本人すらも越えるような可能性のある存在を使い魔とは、とてもではないが同一視できない。

 むろん、使い魔という形ではあるのだろう。今回の亡命が成功したのは、その使い魔が少女の願いごとを、一部とはいえ受け入れたからなのだから。

 ならば、戦力として考えてよいのか? 

 ――答えは否だ。

 主人に絶対服従などということは一切なく、共にするのは主人である少女が愛おしいからに他ならない。今回に関しても、あくまで戦争には関わる気はないとのことだ。それでもあれだけの損害を与えたわけではあるが。

 まあ、それならば、実際に行うかは別にして、少女を人質にということもできないではない。

 終わった後のことを考えないのであれば。戦争には間違いなく勝つ。しかし、その後は? そのような存在を敵に回すぐらいならば、全ての国を敵に回すほうがよほど楽であろう。

 幸い、アルビオンを手中に収めた連中の戦力は大幅に低下している。最強の手札などに頼らずとも、十全以上に戦える。

 アルビオンが強国であった理由は、ひとえに唯一の進入経路である空に全戦力を集めることができるから。他国と違って空軍のみ戦力があればよいアルビオンは、その質が違う。空で戦えば間違いなく――ガリアですらも敗北するだろう。

 逆に言えばアルビオンには空軍しかない。その空軍が満足に戦えないとあれば、今のアルビオンは丸裸のようなものだ。

 勝算は十分、そしてアルビオンからの亡命者を抱え、戦争の大義も立つ今は、間違いなく攻め入る好機であるといえる。統一を詠い、敵対するのが明らかな相手に挑むにはまたとない好機だ。ゲルマニアと協力すれば被害も最小限になろう。

 であるから、この場で論議の的となるのは見返りについてだ。いくら血縁関係にあろうとも、それだけでは動けない。足元などいくらでも見れる状況。それを全く使わないのは、例え感情的には正しいと思おうとも、それでは臣下の、そして民の不満を買って己の首を絞めるだけだ。お互いにとって程よい落とし所というのが重要になる。

「――全ての経費をアルビオンで。加えて、こんな所ではどうですかな?」

 皆が配られている資料へと目を落とす。程よいといっても、国家予算に匹敵する額。戦争で勝っても一切得るもののないアルビオンにとっては、この上なく重い負担であるのだが。

「――そこが、無難なラインでしょうね」

 王子が苦々しくも口にする。例えそうであっても、自身とて納得する所であれば。亡命とは、国と国の間において助けを求めるというのはそういうことだ。












「――仕方がない、そういうものなんでしょうね。まさか、トリステインがあの人を苦しめることになるなんて、夢にも思わなかったわ」

 アンリエッタ姫が暗く、沈んだ声で口にする。亡命者達がこの国にやってきた当初の隠し切れない嬉しさというものはなりを潜めている。

 姫と王子の関係は全く知らぬというものでもない。それがこのようなことになるというのは、ずいぶんと皮肉なものだ。もちろん、死ぬよりはいいだろう。だが、なんともやりきれないものだ。

「……姫様」

 つい、口にしてしまう。昔から王家とは親交があった。一番仲が良かったのはルイズであるが、だからこそ、ある意味では、妹のようにさえ感じているのだから。

「――大丈夫です」

 沈んだ表情は変わらないまでも、努めて明るく振舞おうとしているのが見て取れる。

「あの人が王子として振舞っているんですもの。私もそれに見合ったものでなければ、示しがつきません。――近いうちに、ヴァリエール公爵もこちらにいらっしゃいます。その後は、あなたには学院の方をお願いします。……あなたにはルイズとはまた違った形で助けられました。本当に、ありがとうございます」

 姫という立場でありながら、深く頭を下げる。本当に、感謝しているということだろう。――ここまでさせる愛情というもの、今なら……分かりそうな気がする。

















「――学齢期のもの、および、過半数はこちらに。住居に関しては空いていた部屋の活用、学生寮、職員寮といったもので何とか数を揃えましょう。ただし、あくまで仮という形でしか用意できていないので、この状況が続くのなら増設といったことも必要になるでしょう。加えて、人が増えれば仕事も同様ですから、人員に関しても多少は補給する必要があるかと思います」

 学院長室で、報告書をめくりながら必要事項を伝えていく。

「そうかね。まあ、その辺りは何とかしよう。予算に関しても国から出るじゃろうしな」

 長いひげを撫でながら、珍しく至極真面目な様子だ。まあ、腐ってもこの学院のトップに立つ人間、そうでなければ務まるまい。セクハラまがいの普段の言動の方がおかしいのだ。できればいつもこうであって欲しいものだ。

「報告は以上ですが、何かありますか?」

 書類をまとめ、問いかける。

「――いや、今の所は特にないの。下がってもらってかまわんよ」

 少しだけ考えるようにして答える。

「そうですか。では、これで失礼します」

 軽く一礼してくるりと背を向ける。

「――ああ、そうじゃ」

 ドアに手をかけたところで、思い出したように声が投げかけられる。

「なんでしょう?」

 向き直り、尋ねる。

「いや、大したことじゃないんじゃがな」

 この人物にしては珍しく、遠慮した様子が見える。

「――なんとなく、不機嫌なように見えてな」

 それだけ言ってこちらに視線を向ける。さっきまでと同様、何時ものふざけた様子は伺えない。

「――気のせいでしょう。忙しくなったので、比例してそういったことはあるかもしれませんが」

 簡潔に返す。感情を込めない、言葉だけを。

「――そうかね。まあ、それは仕方がないかも知れんな」

 少しだけ間を置くと、そう呟く。納得したというようには見えないが、それ以上追求するつもりもないようだ。

「以後そういったことはできるだけ表に出さないようには努力します。もう、かまいませんか?」

 言葉通り、感情を込めずに口にする。こういった対応は、なんとなく子供っぽいようにも思うが。

「あ、ああ。引き止めて悪かったの」

 戸惑う様子を見せる学院長を尻目に、失礼しますとだけ、極めて事務的に部屋を後にする。










「――こちらはご自由にお使いください。さしあたって必要なものは中に揃えてありますので。もちろんそのほかにも必要なものはあるでしょうから、遠慮なくおっしゃってください」

「ありがとう、ございます」

 幼い子供を連れた貴婦人に、着替えといったものをわずかでしかないが手渡す。そんなものではあるが、涙を浮かべ感謝される。

 ひとまずはここで暮らすことになった人々に、さしあたって必要なものの支給、そして、ここで暮らすのに必要なことを伝達していく。――そして、その度に感謝される。貴族に、よりにもよってアルビオンの貴族に。

 この中には、もしかしたら私の家族を貶めた者達もいるのかもしれない。よりにもよって私がその世話役になるのだ。なんて皮肉なことだろう。

 でも……、今は恨みきるということもできない。ここにいるのは、負け戦の中、最後まで城に残った人間。少なくとも、軽蔑するくずのような貴族達とは、違う。でも、私にとっては……

 どうすればいいのか分からない。――心が、ざらざらする。何時ものように、いや、何時も以上に内心は見せずに事務的にこなしていく。













「――しばらくは、私が世話役か」

 なんとなく、口に出して確認してしまう。

 簡素な自室には私だけ。ベッドとその高さにあわせたテーブル、後はそれほど広くはない部屋の隅にワードローブがあるだけだ。家具にも特に飾り気はない。女の部屋にしては随分と殺風景だろう。色があるとすれば、テーブルに載ったワインぐらいだろうか。そのワインも安物で、この部屋に見合ったものでしかないが。

 目を閉じると、昔の生活が頭に浮かぶ。私だって、もう随分と前のことだけれど、部屋に飾るような雑貨を集めたり、そういった女の子らしいというようなことが好きだった。綺麗な服で自分自身も着飾って、――それこそ、貴族らしく。それなりに有力な貴族の娘だった私は、そういったことで不自由するなどということは考えもつかなかった。

 ――まあ、もう昔の話でしかないけれど。

 皮肉を胸のうちで呟きながら、ワインを一息に煽る。気づけば、まだ宵の口だが、もう既に半分ほどあいている。安酒だが、酔うだけなら十分だ。今はただ、それだけでいい。もう、そういうものにもずいぶんと馴染んでしまった。












 綺麗に手入れをされた庭が、薄ぼんやりと月に照らされている。とうに満月は過ぎてしまったが、さすがに二つも月があるだけあって十分に明るい。ぽつぽつと並ぶ木々の影が地面に広がり、不思議な模様を描く。時折風が吹くと、影絵芝居のようにも見えてくる。そして、庭といってもこの学院の庭だ。国立公園だとかと同等の広さの庭は、毎日歩いても今の所は飽きない。そんな場所を二人で歩いている。

 しばらく前までは一人でだった。だが、最近はルイズもついてくるようになった。別に喋ったりするわけでもなく、ただ歩くだけ。だが、飽きない。特に、ルイズがついてくるようになった最近は。

 歩幅を合わせてはいても、時折ルイズが遅れる。そんな時はパタパタと追いかけてくるのが、つい笑みがこぼれてしまうほど可愛らしい。おかげで、たまにはわざとやってしまう。そんなときにはルイズも気づいて不機嫌になる時もあるが、そんな様子も可愛らしくて、ついついやってしまう。

 ――今日も、つい。しかし、ふと目に入ったものが気になって足を止めてしまった。

「どうしたの?」

 追いついてきたルイズが、急に止まったことに、不機嫌になるよりも先に、不思議に思ったんだろう。人よりも大きな瞳を丸くして、こちらを覗きこんでくる。

「――いや、あそこに」

 さっき目に入ったものを指差す。ルイズが追う指の先に、食堂に通じる石畳の上をふらふらと歩く影がある。本人にとってはまっすぐに歩いているつもりなんだろうが、時折揺れる体は随分と危なっかしい。いつもはそんな様子は絶対に見せることのないロングビルなら尚更だ。

 よくよく見れば、まだ遅い時間ではないがずっと飲んでいたのかもしれない。分かりやすく、手にはワインの瓶が握られている。出てきたのは食堂の方角からだから、そこから拝借してきたんだろう。危ない足取りながらも、瓶だけはしっかりと抱えて、落とす様子がない。 

「先に戻っていてくれないか? どうにも、危なっかしい」

 視線をルイズへと戻しながら口にする。ロングビルはこうしている間もふらふらと進んでいく。

「そうね。でも、珍しい。そんなにお酒を飲むような人じゃなかったと思うんだけれど……」

 ルイズが考えるように、心配げな視線を送る。確かに、ルイズの言うように、そんな風には見えないのだが。以前、学院長がセクハラばかりだと愚痴ってきたこともあったが、そんな時でも酒に飲まれるといった様子はなかった。









「――飲みすぎなんなんじゃないか?」

 後ろから声をかけると、今気づいたとばかりにゆっくりと振り返り、胡乱な目を向けてくる。 実際、気づいてはいなかったのかもしれない。

「――ああ――シキさん。夜のお散歩、ですかぁ?」

 見た目どおり、結構な量をすでに飲んでいたんだろう。少し間を置いてから、何時もとは明らかに違う、のんびりとした声が返ってくる。赤く染まった頬が色気を感じさせなくもないが、手に持ったワインからトプンと音が鳴り、どうにも滑稽だ。立ち止まってはいても揺れる体であれば尚更だ。

「さっきまでは、な。それより、今日は酒はその辺りにしておいたらどうだ? さっきから足取りが危なっかしい」

 顔をこちらに向け、聞いてはいるんだろうが、理解しているかは怪しい。いや、酒を後ろに庇うようにしているからにはしっかり理解しているんだろう。ただ、言うとおりにする気がないだけで。

「大丈夫、ですよ。自分のことは、自分で分かっています、し」

 揺れる体と間延びした言葉とともに、はあ、と酒臭い息が漏れる。口では大丈夫といっているが、実に分かりやすい。

「……今日はもう寝た方がいい。酒は没収だ」

 とりあえず、手に持ったままのワインのボトルを取り上げる。酒を離すまいとはしているが、所詮は酔っ払い。酒をこちらに引き寄せると、あっさりと手から離れる。

「あー……。むー、……もうちょっと、欲しいです」

 口を尖らせ、上目遣い言う様子は、おもちゃを取り上げられた子供のようで、いつもとギャップがる。可愛らしいとも言えるだろう。とはいえ、これくらいにしておいた方が次の日に後悔しなくて済む。

 とりあえず、酒を取り替えそうとする手を空いた右手で制する。――もっとも、すぐにその右手は取り返そうとしてよろけた体を支えることになったが。

「……どうして今日はそんなに飲んでいるんだ? 何時もはそんなことはないだろう?」

 抱きとめながら尋ねる。ここでは酒が出る席というのはそれなりに多いのだが、何時もはもっと控えめだったはずだ。少なくとも、口調が変わるまで飲んでいるということは今まではなかった。

 問いかけると体を支える手を追い返し、さっき以上に口を尖らせ不機嫌そうに呟く。

「……知りません」

 ぷいとばかりに顔を背ける様は、本当に子供のようだ。可愛らしくはあるが、やはり多少は呆れてしまう。まあ、それも仕方がないだろう。なにせ、正直な所、俺は酒が分からない。この体になる前は飲むということはなかったし、この体になってからは、少々の酒では酔わなくなってしまったのだから。

「だからってそこまで飲まなくてもいいだろうに……」

「――半分は……シキさんのせいですよ」

 俺の呆れたような言葉に、ぽつりとそんな言葉が返ってくる。

「……俺のせい?」

 その言葉に、つい鸚鵡返しに尋ねてしまう。聞こえているとは思わなかったのか、驚いたようにこちらを見るが、すぐに言葉を続ける。

「……うん、全部シキさんのせいです。だからぁ、お酒は返してください」

 さあ、と子供が没収されたおもちゃを取り替えそうとするように、力任せに手を伸ばしてくる。が、言っていることの意味はよく分からないが、そうですかと渡すわけにもいかない。

「言っていることの意味はよく分からないが、それとこれとは別だ」

 届かないようにと高く持ち上げる。もしかしたらジャンプでもしてとりに来るかと思ったが、さすがにそれはないらしい。むーむーとうなりながら、焦点の定まらない目でこちらをにらむ。

「じゃあー……一杯だけ」

 何が「じゃあ」なのかよく分からないが、どうしても飲みたいらしい。確かに、わざわざ食堂にまで行って調達するぐらいだ、どうしても飲みたいんだろう。それくらいは、まあ、理解できなくもない。

「一杯ぐらいなら……」

 ちゃんと送り届ければいいだろうと口にしたところで、クイクイと袖を引っ張られる。

「部屋にいきましょう?」

 コトリと首を傾け、無邪気に笑う。

 ――まあ、見ていないと全部飲んでしまうだろうし、俺のせいというのも少し気になる。それに、子供がするように言われると断れない。基本的にルイズの言うことを断れないのには、そういうこともあるのかもしれない。









「――さあ、入ってくださいな」

 引っ張られるまま、部屋に招き入れられる。歩いている間に多少は酒が抜けたようだが、随分と楽しそうだ。そんな様子を尻目に、不躾ではあるが何となく部屋を見渡してしまう。

 ルイズやエレオノールの部屋に比べればもちろん質素な部屋だ。シングルサイズのベッドがあって、その傍にベッドに合わせた丸テーブル、部屋の隅には実用性重視のワードローブが、と。まあ、二人の部屋に比べたらというだけで、飾り気がないだけで良く整理された部屋だ。そんな部屋の丸いテーブルの上に、持ってきたワインをおく。ふと、視線をずらせば、床には空の瓶が二本見える。

「ちょっと待っててくださいねー♪」

 鼻歌交じりに言いながらグラスを二つ並べる。少しばかり手つきが覚束ない様子だが、別に倒してしまいそうということはない。グラスが二つというのは――まあ、来た時点でそうなるのは分かっていたことだ。椅子はないのでお互い隣り合わせになるようにベッドに腰掛ける。

「……一杯だけだぞ?」

 念のためにと確認する。分かってますよーと返事は返ってくるが、一体どこまで分かっているのやら……。

「じゃあー、乾杯ぐらいしましょうか?」

 グラスを持ち上げ、中に入ったワインを揺らして乾杯の仕草をする。

「まあ、せっかくだしな」

 それではと掲げたグラスに軽く打ち合わせる。キンと小気味良い音だ。そのままお互いグラスを口に運び、俺は三分の一ほど、ロングビルは一息に飲み干す。空になったグラスをテーブルに戻し

「――ん、お代わり……「こら」」

 とりあえずボトルに手を伸ばすのを制する。

「一杯だけだと言っただろう?」

 えー、と不満そうだ。

「じゃあー、シキさんが飲むのを私は見てるだけですかぁ? ……意地悪です」

 悲しげに眉を寄せ、本当に泣きそうな様子だ。目にはうっすらと涙も見える。

 今日は、本当に子供のようだ。酒のせいなのか、それとも別に理由があるのか。とはいえ、そんな様子を見ると、どうにも駄目だとは言いづらい。――むしろ、酔っ払い相手にそんな約束をした俺が馬鹿だったんだろうか?

「どうして今日はそんなに飲みたがるんだ?」

 部屋に来る前にも聞いたことだが、何かあったんだろう。今度は答えることもせず、不機嫌そうに俺のグラスを掴むと、一息に空にする。

 しかし、不機嫌になる理由はなんだ? この部屋に来る前に言っていた、俺のせいというのも気にかかる。思い当たることといえば、アルビオンでの夜のことだ。どうしてもアルビオンの王家に肩入れはさせたくないようだった。

 ――そういえば、理由までは言わなかったが、前にも貴族が嫌いだと言っていた。貴族を馬鹿にするような形で怪盗なんてものをやっていたのだから、それは間違いない。そして、アルビオンには妹に会いに行ったということは、あの国が故郷のはず。なら、本当に恨みがある貴族というのは……

「――亡命者のことか?」

 その言葉にびくりと体を震わせる。どうやら正解らしい。だが、別に無理やり聞き出そうという気はない。

「言いたくないのなら、無理に聞き出そうとは思わないが……」

 誰にだって言いたくないことはある。もちろん、言うことにも意味はあるとは思う。自分も、ルイズに話すことには意味があったと感じるのだから。誰かに自分のことを分かって欲しいというのは、少なからず、あった。

 視線を移すと、ロングビルは苦々しい様子だ。がりがりと頭をかき、やがて、はあと深くため息をつく。幾分、息とともに酒も抜けたようにも見える。

 そうして、普通なら聞こえないような声で、「誰かに聞いて欲しかったのかなぁ」と呟く。

「――愚痴になっちゃうかもしれないですけれど、聞いてくれますか?」

「ああ」

 俯いたまま呟く相手に、簡潔に返す。

「――何から言えばいいかなぁ」

 目を閉じたまま空を仰ぎ、考え込む。少しだけ考え込んだ後、再び口を開く。

「私、もともとは貴族なんですよ」

 小さく、盗賊にまで堕ちましたがと、皮肉気に付け加えながら。

「昔はそれなりの家だったから、何の不自由もなかったなぁ。メイドが何人もいたから何もしなくても良かったし、毎日綺麗に着飾って、美味しいものを毎日食べて……」

 言いながら昔を振り返っているんだろう。目を閉じ、噛み締めるように口にしていく。懐かしむように、楽しかった思い出を口にするように――それでいて、表情には諦めも含んで。そして、誰に向けたものか、怒りも。同時に、意味をなさない恨み言もこぼれる。ひとしきり口にして落ち着いたのか、肩の力を抜き、こちらに視線を向ける。

「――知っていますか? 貴族でなくなることがどんなに惨めか……。なまじ知っているだけに受け入れられないんですよ? 平民と同じものなんて食べられないとかね」

 自分自身を嘲るように。

「馬鹿ですよねぇ。そんなくだらない意地なんて張って。蓄えがそこをついてようやく気づいたんですよ。最初からそれなりにしていれば、もっと楽だったのになぁ……」

 また俯いてしまう。さっきから、くるくると表情が変わっていく。

「――でも……ですね、私も頑張ったんですよ?」

 こちらに視線を向ける。だが、その表情は今にも泣きそうだ。

「生きるためにはお金が必要で、テファには――妹には私しかいなかったから。」

 ゆっくりと視線を地面に落とす。ベッドから投げ出した足をぶらぶらと揺らしながら。

「――でも、あの時の私、本当に馬鹿だったなぁ。何にも知らないから散々弄ばれて。おかげで、本当に貴族が嫌いになったんだっけ。やたらと見栄を張るくせに欲望まみれの変態で……。私は結局、そんなやつら汚されて……堕ちる所まで堕ちちゃいました」

 最後は笑って口にする。だが、涙が頬を伝い、泣き笑いとしかいいようのない、そんな表情だ。何時ものような冷静さはなく、少女のように。きっと、昔のままの表情なんだろう。

「――私、子供じゃないですよ?」

 ついルイズにするように頭に手を乗せてしまった俺に、拗ねるような視線を向ける。そういうところも、子供のようだが。

「――今は、子供に見えた。何時ものように自分を隠すのも必要かもしれないが、たまには弱みを見せたっていいんじゃないか? 少なくとも、ここには敵はいないだろう?」

 味方がいない寂しさは、俺にだって良く分かる。そんな時にどうしたいかも。

「――いい年をした大人が、子供のようにですか?」

 少しだけ、苦笑いを見せる。

「それはそうかもしれないが……「そこは認めなくていいです」……そうか」

 わりと年のことは気にしているのか、グーで返事が返ってくる。だが、表情も少しは和らいだ。少なくとも、壊れそうだなどとは感じさせないぐらいに。

「――じゃあ」

 少しだけ考えるようにして、照れたような微笑とともに体を預けてくる。

「――今日は、付き合ってもらってもいいですか?」

 目はあわせずに、少しだけ恥ずかしそうに。赤いのは酒だけが理由ではないのかもしれない。











「――私、分からないんです」

 不意に、そう口にする。


「私たちをそんな目に合わせた、憎んでいた相手なんだから、今の状況はむしろ喜ぶはずなんです。……でも、今はあの人たちのことは憎みきれない。貴族なんて、自分達のことだけを考えているはずなのに、負けると分かっていても国を守るなんて……。意味なんて……ないのに。――あはは、何が言いたいのかなぁ?」

 どうしたらいいのか分からない、声にもそんな様子がありありと見て取れる。

「――私、どうしたいのかなぁ?」

 誰にともなく、口にする。

「自分で決めることだ」

 自分のことは自分にしか分からない。そして――自分のことは自分で決めるものだ。難しいということは身にしみてよく分かっているが、それでも、自分で決めなければ意味がない。

「意地悪ですねぇ。でも、そうなのかなぁ。――でも、私、きっともう憎んでいないんでしょうね。あんな風にできるのなら、貴族だって捨てたものじゃないって思っているし。……そういえば、あの姉妹もそうだっけ」

「――そうだな。あそこまで真っ直ぐなら、むしろうらやましいぐらいだ。俺も、そういう風にできれば、後悔しなくてすんだ……」

 全く、同感だ。あれだけ真っ直ぐなら、きっと迷わなくて、もし迷ったとしても自分で道を切り開けるだろう。

「――私……聞きたいです」

 ふと、言葉を投げかけられる。その言葉に、疑問と共に視線を向ける。

「何をだ?」

「シキさんのこと、です。私、結局何も知らないんですよね。ずっと私と同じものを感じていたけれど、でも、何にも知らない」

「そんなに面白い話でもないぞ?」

「いいんです。私だって今まで誰にも話したことがなかったことを話したんですよ? シキさんも話してくれないと、やっぱりずるいです」

「子供みたいなことを言っているな」

 つい呆れたように言ってしまう。

「――ああ、そうですねぇ。でも、今日はいいんでしょう? だってシキさんがそうしろっていったんだから」

 身を寄せたまま、いたずらがうまくいった子供のように無邪気に笑う。

「まあ、そうだな。ルイズには話したんだから、いいか。そうだなぁ。何から話すか――」














「――シキ……遅い。今頃、ミス・ロングビルと……。ううん、シキはそんな人じゃないし……。でも、遅いなぁ」

 ベッドの中、時折扉へと目を向け、その度にため息がこぼれる。
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